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2013年10月全優石津波記憶石プロジェクト 萩元委員長、髙橋正晴先生、担当者清水氏は吉浜の東実行委員長からの建立予定地が決まったとの一報をうけ再度吉浜へ向かった。
「吉浜での建立場所については数カ所の候補地がありました。未来へ遺していくために私有地ではなく市有地へ寄贈するという規定のため、ここは最高のロケーションだけど建てられないという場所が多々あります。第一回会議で候補地はあがっていたのですが、ある一人の住民の方から“あそこの場所は海が見えねぇ、あそこでは何も感じられない”とのご意見も出ていました。僕らが東京に戻ってからも吉浜の実行委員会内で建立場所について考えていただいたのだと思います。2013年10月に訪れた時には石川啄木の碑が設置されている横で、海が見えるロケーションを最終候補地として決定していただきました。様々な交渉を東実行委員長を中心に吉浜の住民の方々がしてくれたおかげで決めることができました。」
「また、デザイン中の文字について髙橋先生とお話をしたのですが、文字についてはわからないから清水さんが決めてくれてとの話をうけました。デザイン図の中には吉浜 奇跡の集落としか書いておらず字体の指定もありません。そこで僕がデザイン案から発想した字体は“隷書体”でした。早急に弊社がお世話になっている書家さんに連絡を取り文字の大小、太さなど様々な原稿を書いていただきました。お墓の文字でもそうなんですが、書でみると完璧、彫ってみると貧弱ということがあります。石碑のパワーに負けないように大きさやバランスに特に気を使いました」と清水氏
髙橋先生の初期のころのデザインからは1つの石碑が付け加えられている。これは今回の津波の教訓と2人の村長への顕彰をする碑文を彫刻するためのものだ。また会議の中では整地担当の斎藤氏から空間の最終予想図なども手書きで出された。
下の写真は石碑の寸法、敷地面積、敷き石の割り方などを計算し清水氏による図面。会議室に歴代村長の写真が飾ってあり非常に印象的なものとなっている。
二回目の会議が終わるころには津波記憶石の全体像が皆にできてきたようだ。図面が完成し全優石内において石材提供社、施工協力社を募り手を挙げてくれた会員店が2社あった。岐阜県多治見市 ㈲石玉石材さんと岩手県下閉伊郡山田町 ㈲伊藤石材工業さんだ。
「2013年12月に整地が完了したので一度見に来てほしいと東実行委員長よりお電話がありました。行ける日程は26日しかない。急遽、伊藤社長と連絡をとり現地へ行くことになりました。一人で行くためレンタカーも使えず電車での移動でした。新花巻~釜石まで釜石線に揺られて寝てしまいました。あっ!寝過した!と思って起きた時にはまだ3分の2くらいしか来ていなかった。また、12月の岩手でさぞかし寒く雪もあるのでは?と思い重装備をしていったのですが吉浜に着いた時に感じたのはあれ?暖かいぞ。住民の方は笑顔でここ吉浜は岩手の湘南と呼ばれています!と笑いながら話していただいたことをよく覚えています。」
「吉浜の斎藤氏の協力により整地が済み、津波記憶石の製作に入っていく中で僕にはやり残していることがありました。それは石玉石材 水野社長へのご挨拶でした。全優石の津波記憶石プロジェクトでは石材提供社、施工協力社に多大なご支援とご協力を受けています。それをお引き受けいただいた水野社長へ感謝の気持ちを伝えに実際にお会いしたかったのです。そして年が明けた1月29日、僕は地元上板橋銘菓の御饅頭を携え岐阜県多治見市へと向かいました。」