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デザイナーが書いたウォーターライン上の津波記憶石イラスト図
デザイナーが書いたウォーターライン上の津波記憶石イラスト図

ウォーターライン上へ建立

「津波が届いた到達点をつなぐと一本の線となります。この長さが全長で500kmあると言われています。いわゆるウォーターラインです。この500kmのところへ津波記憶石を建立しようということで決まりました。しかし、それをどこに?どのように?誰が?など問題は山積みでした。会議を何回も何回も重ね、被災地の市長・町長・担当者と会い、上記コンセプトの石碑を後世へ遺すものとして作りたいと話し交渉を重ねました。津波で大打撃を受けた被災地では1基目を建てることは困難を極めました。」と清水氏

 

被災地では津波の被害を受けた場所の今後について、見通しがつかないところが多かった。津波記憶石建立については後世へ遺すため、私有地ではなく市有地と定めている。かさ上げなどの予定も立っていないという地域がほとんどだったため、今後どうなるか行政担当者もわからなかった。

「津波記憶石には全優石と地元住民の方、デザイナー、施工会員店などをつなぐプロジェクトリーダーを決めています。その一番最初のプロジェクトリーダーとなった北海道 山崎石材工業㈱さんを中心に2011年12月、1号基目が釜石市鵜住居地区に建ちました。その後ニュースを見た気仙沼市長から“気仙沼小泉地区に建ててほしい”との申し出があり2号基目が気仙沼に完成しました。3号基目、唐丹地区のメインの石碑には95名のメッセージが彫刻されています。メインの石碑の他に“ここまで津波が来た”ということを示す石柱も22基建てました。そして26号基は綾里駅の前にあり、日時計の形になっており3月11日の指す位置が変わらないことを示しています。詳しくは全優石の津波記憶石のサイトをごらんください。また実際に見に行っていただきそれぞれの津波記憶石の迫力、訴えかける力を感じていただければと思います。」

  • 建立年
  • 2012年3月宮城県気仙沼市小泉地区 津波記憶石2号
  • 2012年6月岩手県釜石市唐丹地区  津波記憶石3号~25号
  • 2013年3月岩手県大船渡市綾里駅前 津波記憶石26号

大小色々な形の津波記憶石があり素材・加工・デザインも様々。1号基は浅葉克己氏、2号~25号基までは起案家、26号基は髙橋朗氏がデザインしている。背面にはそれぞれ地元住民、協賛者、協力者、加工石材店、石材提供者などが彫ってある。ぜひ実際に見に行った時は見ていただきたい。そこには想いを持った方々の名前が刻まれている。


岩手県大船渡市吉浜への繋がり。

「津波記憶石が唐丹地区に建立された時期に全優石へ吉浜中学校の校長先生より一本の電話がありました。津波記憶石の除幕式には新聞やテレビ、地元の住民の方などをお招きして開催します。その様子・ニュースを実際に見ておられ、吉浜の地域にも建てられればとの希望を示していただきました。吉浜の地元では実行委員会が発足し市への協力要請へと繋がっていきました。僕はそのような中で大船渡市吉浜地区のプロジェクトリーダーに任命されました。そして2013年7月、全優石東日本復興委員会 委員長 千葉県松戸市 はぎの家石材店 萩元委員長とデザイナーの玉川大学 髙橋正晴先生と一緒に新幹線で地元実行委員会・デザイナー・全優石の3者による第一回合同会議へ向かったのです。」