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岩手県大船渡市三陸町吉浜へは東京から東北新幹線で北上駅まで行き、そこから車で2時間一般道を走る。片道5時間ほどの道のりだ。
「新幹線で髙橋先生にはじめてお会いしました。僕はデザイナーの方と会うことが少ないのですごく緊張していたことをよく覚えています。萩元さんが新幹線に乗るのは大宮駅。僕と髙橋先生と二人っきりでの東京駅から大宮駅までの間はすごく長く感じました。先生も初めて吉浜の地を訪れるとのことでした。車内では今回のプロジェクトの経緯、津波記憶石とはどのようなコンセプトのものなのか、何を遺したいのか、吉浜の地元の意向など色々話した記憶があります。僕は気仙沼、石巻、東松島、女川、釜石などの被災地へ行っており津波の被害状況をこの目で見ていました。ですので、吉浜の町に入る時に壮絶な光景が広がっていることを覚悟していました。ですが僕はいい意味で裏切られることになるのです。」
「町が壊れていない…。変な表現だと思いますが一番初めに吉浜に着いた時に思ったことでした。たしかに海側では津波の被害はあったのですが、家屋が津波にのまれてめちゃくちゃになっているということがなかった。僕らは吉浜の地元住民の方との会議においてその真実を知らされることになるのです。」
2013年7月3日(水)、吉浜地区拠点センターで津波記憶石建立のための実行委員会が開かれた。吉浜公民館館長である東堅市氏が実行委員長として経緯説明、吉浜での話し合い、これまでの活動報告を行い始まった。
「僕は今までに建ててきた津波記憶石製作について、地元の方々との会議報告を受けていました。ですので建立をするための実行委員会のイメージはある程度あったのですが吉浜は他と少し違うと思いました。よく組織化されていて、みんなが「建てるにはどうすればいいか」と案を出し、市と交渉し動いてくれたのです。その理由は吉浜まで走ってきた景色にありました。1400人が暮らす吉浜では行方不明者1人、家屋全壊・流出4棟という他の地域にくらべて圧倒的に被害が少なかったのです。会議に出席している住民の皆さんからパワーを感じましたし、建設資金の調達まで資料に明記がしてあったのにはびっくりしました。」と清水氏
会議で吉浜の郷土史研究家 木村正継氏は語った。
吉浜は今回の東日本大震災で最も被害が少なかった地域として、日本だけでなくアメリカ、オランダ、中東などの世界各国からも注目され、AELAでは「奇跡の集落」、ジャパンタイムズでは「ミラクルビレッジ」、「ラッキービーチ」などと紹介された。「奇跡の集落」とは、当時のアエラ記者の常井(とこい)健一氏が取材に訪れた時に、ガレキも無い吉浜の風景が他の地区とはあまりに違い名付けた。
この吉浜の被害が少なかったのは明治三陸大津波で多被害を受けた後、初代村長 新沼武右衛門の先導によって住居の高台移転が進められたこと、昭和三陸大津波の後にも八代村長 柏崎丑太郎主導による耕地整備と復興地を造成しての高台移転が徹底されたことによるものです。今回の津波記憶石には二人の村長の偉業への顕彰の意味を込めていただきたいと木村氏は語りました。
会議には各地域からの代表者、青年部からの代表者などが出席した。黒板へは大船渡市立吉浜中学校 村上洋子校長により行われた生徒達のワークショップが貼られている。中学生達はそれぞれに今回の震災について考え、未来へどう伝えるかを必死に考えてくれていた。写真では当時の建立予定地の視察や会議の風景、吉浜駅にあったパネルです。
「髙橋先生は行きの新幹線の中で、僕に“彫刻家とはどういうものか”ということをお話されていました。カタチと闘っている。作りだしたカタチからそれを見た人へ伝えなければいけない。言葉は説明になりあまり意味を持たないと語ってくれました。
会議後、建立予定地の視察を終えて帰る新幹線内で僕達の頭からは離れない言葉がありました。それは髙橋先生も同じだったようで、『行きの電車で言葉は意味を持たないと言ってしまったが、ここのキーワードは“吉浜 奇跡の集落”ですね。それしかないね清水さん』と話されたことは今でも覚えています。萩元委員長にも僕にも迷いはありませんでした。この帰りの新幹線内でコンセプトから彫る文字までが決まったのです。数日後、髙橋先生より封書が送られてきました。それは数枚のデザイン案でした。」
1950 | 宮城県石巻市生まれ |
1973 | 玉川大学文学部芸術学科美術専攻彫刻コース卒業 |
1975 | 愛知県立芸術大学大学院修了 |
1976~1977 | ウィーン応用美術大学研究生 |
1995~1996 | ミラノ在住(イタリア) |
現在 | 玉川大学芸術学部ビジュアル・アーツ学科教授 |